新生活249週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」 画像 6月29日はカトリックの「聖ペトロ聖パウロ使徒」の祝日(赤)。彼らの殉教を記念している。ペトロ、パウロそして主の兄弟ヤコブの人生の終わりに注目してみた タグ キリスト教 新生活249週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」 の続きを見る
新生活248週目 - 「五千人に食べ物を与える」 画像 「天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」はイエスが奇跡を起こしたということではなく、神に願って実現したというシーンである。3つの朗読箇所はどれも食事のシーンが書かれている。 タグ キリスト教 新生活248週目 - 「五千人に食べ物を与える」 の続きを見る
1年ぶりに砧教会の礼拝に参加した 一年間の冷却期間を経て、礼拝に出席したら惨状は目を覆うばかりだった。権威主義は破滅の入口である。善人も慢心すれば悪魔と変わらない。 タグ キリスト教 1年ぶりに砧教会の礼拝に参加した の続きを見る
ロストハウス 画像 全編を3回繰り返して読んでようやく登場人物の感情の動きにおぼろげにわかったような気になったが、感情移入は難しい。10年後に再読したらどう読むのだろう。 タグ ライフスタイル ロストハウス の続きを見る
新生活246週目 - 「聖霊を与える約束」 画像 今日の3つの朗読箇所は使徒行伝、ロマ書、ヨハネ伝が選ばれている。ロマ書はパウロの解釈で、使徒行伝は記録報告の位置づけ、ヨハネ伝は当時の教会が採択した解釈と考えることができる。使徒行伝、ヨハネ伝は2世紀になってから文書化されているのに対して、ロマ書は50年代。ロマ書の頃、既にギリシャにキリスト教会は存在していて、ローマに影響を及ぼし始めている。事実がどうだったのかも知りたいが、ペンテコステが意味することを再考したい。 タグ キリスト教 新生活246週目 - 「聖霊を与える約束」 の続きを見る
新生活245週目 - 「弟子たちに現れる〜天に上げられる」 画像 ある日復活のイエスが昇天したという事実はなかったのではないかと思う。復活のイエスは肉体を伴っていて弟子たちと再会した体験は恐らく真実だろう。しかし再会の体験は実際に会ったことのある人にしか機能しない。ペンテコステで霊的な働きにフェーズが変わる。じゃあ、肉体を伴った復活のイエスはどうなったのか?という問いに答える必要があるので昇天の記事が書かれたと考えることには一定の合理性があると思う。物理的な存在や事実だけに固執していても詮無いことだ。 タグ キリスト教 新生活245週目 - 「弟子たちに現れる〜天に上げられる」 の続きを見る