田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第三巻 パウロ書簡 その一読了。
まず、訳と注を毎日3章分程度交互に読んだ。最後に、田川建三訳と新共同訳を交互に読んでみた。
執筆順に並べられていて、最初は第1テサロニケ。改めて読んでもそこから取れる意味については新共同訳とほとんど変わらない。しらふという言葉が5章で何度も出てきたのを含め、パウロは極めて禁欲的なメッセージを出していることが理解できる。直訳のすごみと言っても良いかも知れない。
次はガラティア。田川訳では書き出しは「パウロ、使徒」である。新共同訳では説明が先にあって1節の最後に「使徒とされたパウロ」となっている。同じく逐語訳型のBSBでは、"Paul, an apostle -"が書き出しになっている。出だしのインパクトは新共同訳より田川訳の方が鮮烈で、BSBも近い。テサロニケと違って、本文冒頭の1:6は叱責から始まっている。ここも新共同訳は長い説明の最後で「あきれ果てています。」となっており、田川訳は「私はあきれている。」が最初に書かれている。BSBは"I am astonished"で始まる。つかみの部分だけでも田川訳と新共同訳は読み手に与えるインパクトが大きく異なる。個人的には田川訳を押したい。1章の最後でも新共同訳は「わたしのことで神をほめたたえておりました。」だが、田川は「彼らは私のことで神に栄光を帰した。」となっている。BSBも同様。田川はパウロを相当人間的に問題のある人物だと書いているが、この一節にも現れている。彼らが神に栄光を帰したのは私の業績であるという自負心と、ガラテアの人が(パウロの言説によって)神をほめたたえていたという客観視記述は大きく違う。田川訳には読むべき価値があるのは明らかだ。
後はコリントス(コリント前後書)。この書き出しも「パウロ、使徒」。ただし、BSBでは"Paul, called [to be] an apostle of Chrisst Jesus ...とやや異なる。こちらは、新共同訳の方が原文に近いように私には感じられた。内容については、新共同訳と比較して私には顕著な食い違いは感じなかった。とはいえ、記述トーンの違いは大きい。
解説で、「この、ただただ率直にできる限り原文を直訳した私の訳文をお読み下さったら、パウロというのは何と思い上がり、威張り腐った、嫌味な人物であることか、とお思いになるだろうか。」はそうかなと思う。さらにその直後に「この人物が人類の宗教思想の歴史に残した足跡は非常に大きいものがるのも、明らかな事実である十六世紀宗教改革だけを見ても、パウロ思想の影響なしには考えられない。」とある点は強く共感する。逐語訳的直訳を思考しているBSBも参考にするのが良さそうに思う。複数の訳にあたることで、理解は深まるだろう。
読んで良かったと思う。