新生活204週目 - 続々「イエスは命のパン」 「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」は強烈なメッセージで共観福音書に同様の記述はない。ルカ伝では聖餐について「わたしの記念としてこのように行いなさい」と書かれていて、関門ではなく記念行事として位置づけている。現実には、結構ヨハネ伝的な関門儀式に位置づけようとする力は強い。 タグ キリスト教 新生活204週目 - 続々「イエスは命のパン」 の続きを見る
コンヴィヴィアリティのための道具 読後、著者のイヴァン・イリイチをWikipedia日本語版、英語版で目を通してみると、善いことをしたいという思いが伝わってくる。個人的にはキリスト教的な「愛」の権威独占(人治)によらない制度化のすすめと受け取った。 タグ ライフスタイル コンヴィヴィアリティのための道具 の続きを見る
新生活203週目 - 続「イエスは命のパン」 ヨハネ伝は共観福音書と異なる記述が多いが、執筆された時期や政治的な背景を考えると、見えてくることもある。原理主義的な印象のある箇所だが、権威主義的にとらえずに、含意を受け取ることもできるのではないか。 タグ キリスト教 新生活203週目 - 続「イエスは命のパン」 の続きを見る
新生活202週目 - 「イエスは命のパン」 「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」という言葉の解釈を現在に当てはめると、反ネタニヤフ政権に立つしか無いように感じる タグ キリスト教 新生活202週目 - 「イエスは命のパン」 の続きを見る
Drupal検証環境あれこれ マルチリンガル機能の検証のためにマルチサイト構成で検証環境を立ち上げている。Drupal 11の準備も兼ねて文書化することにした タグ Drupal Drupal検証環境あれこれ の続きを見る
ヘロデ・アルケラオス 虎の威を借る狐は必ず滅びるが、生きている間に甚大な被害をもたらす。政権が短命であったことは幸いかもしれないが、その後に現れたアンティパスがイエスが流した血の責任をイスラエル(ユダヤ教)に負わせた。負の連鎖である。保守は亡国だ。 タグ キリスト教 ヘロデ・アルケラオス の続きを見る
新生活201週目 - 「五千人に食べ物を与える」 私は史実として「五千人に食べ物を与える」という奇跡は記述のとおりに存在したとは考えていない。その通りのことがあったかも知れないが、その委細が盛られていて正確でなかったとしても、そこにいた群衆は、来る前と帰っていった時で大きな心的な変化があっただろうと考えている。 タグ キリスト教 新生活201週目 - 「五千人に食べ物を与える」 の続きを見る