日本基督教団砧教会の主日礼拝に最後に出てから12週が経過した 組織は基本的に頭から腐るものだ。腐敗をそそのかすものを重用してはいけない。 タグ キリスト教 日本基督教団砧教会の主日礼拝に最後に出てから12週が経過した の続きを見る
新生活207週目 - 「耳が聞こえず舌の回らない人をいやす」 画像 イエスは彼を見て、彼と彼の背景が分かり、天を仰いで深く息をつき、自立を阻害する要因を取り除いたのではなかろうか タグ キリスト教 新生活207週目 - 「耳が聞こえず舌の回らない人をいやす」 の続きを見る
新生活206週目 - 「昔の人の言い伝え」 画像 ルールを守ることが目的化すると良くないという解釈もあるだろう。自分の内側から出てきている思いに冷静に立ち向かえるかが問われていると考えることもできる。 タグ キリスト教 新生活206週目 - 「昔の人の言い伝え」 の続きを見る
イエスとその時代 画像 荒井献氏の訃報をきっかけに イエスとその時代 - 岩波書店 を図書館で借りて読んだ。あとがきには「本書において私が試みたのは、イエスとその時代に対する歴史的接近である。」と書かれている。私もその歴史的接近には興味があり、いくつかの新たな知見が得られて満足した。 タグ キリスト教 ライフスタイル イエスとその時代 の続きを見る
新生活204週目 - 続々「イエスは命のパン」 画像 「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」は強烈なメッセージで共観福音書に同様の記述はない。ルカ伝では聖餐について「わたしの記念としてこのように行いなさい」と書かれていて、関門ではなく記念行事として位置づけている。現実には、結構ヨハネ伝的な関門儀式に位置づけようとする力は強い。 タグ キリスト教 新生活204週目 - 続々「イエスは命のパン」 の続きを見る
新生活203週目 - 続「イエスは命のパン」 画像 ヨハネ伝は共観福音書と異なる記述が多いが、執筆された時期や政治的な背景を考えると、見えてくることもある。原理主義的な印象のある箇所だが、権威主義的にとらえずに、含意を受け取ることもできるのではないか。 タグ キリスト教 新生活203週目 - 続「イエスは命のパン」 の続きを見る
新生活202週目 - 「イエスは命のパン」 画像 「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」という言葉の解釈を現在に当てはめると、反ネタニヤフ政権に立つしか無いように感じる タグ キリスト教 新生活202週目 - 「イエスは命のパン」 の続きを見る