キリスト教

田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第三巻 パウロ書簡 その一

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田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第三巻 パウロ書簡 その一
解説で、「この、ただただ率直にできる限り原文を直訳した私の訳文をお読み下さったら、パウロというのは何と思い上がり、威張り腐った、嫌味な人物であることか、とお思いになるだろうか。」はそうかなと思う。さらにその直後に「この人物が人類の宗教思想の歴史に残した足跡は非常に大きいものがるのも、明らかな事実である十六世紀宗教改革だけを見ても、パウロ思想の影響なしには考えられない。」とある点は強く共感する。

新生活284週目 - 「イエスの姿が変わる」

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Feodor Ivanovich Iordan : Transfiguration of Jesus
私は、葬られてから昇天までの話は正直言って納得いかないと思っているが、イエスが体をもったまま復活したことを否定しているわけではない。それは「死者の中から復活するとはどういうことか」という問いに取り込まれて迷ってしまうより『「過越」の体験』からくる自分の信仰の原点に戻って、「(今の)苦しみと死から喜びといのちに変えられていく歩み」を歩むことが望ましいと思っているということでもある。

新生活283週目 - 「誘惑を受ける」

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Satan Tried To Tempt Jesus James Tissot
福音のヒント(4)には「四旬節の時を過ごす心構えは、ある意味で、自分を「荒れ野」に置いてみることだ、と言えるのではないでしょうか。そこからもう一度、神とのつながり、人とのつながりを見つめなおしてみるのです。」とある。この言葉は、私には響く。忙しい時期時や追い詰められている時には自分を「荒れ野」に置いて考えるのは難しい。

新生活282週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」

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The Sermon on the Mount - William Brassey Hole
現実には正しい答えが一つに収束することはない。人によって聞こえる「神秘としての神の知恵」も一致しないことがある。静かに愛の原理に従って判断するしかない

新生活280週目 - 「山上の説教を始める」

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Mount of Beatitudes, seen from Capernaum
アテンション・エコノミー時代に生きる私たちにとって「身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである」は救いである。真実の声を上げる人を叩く人がいても、神がその人を捨て置くことはない。

新生活279週目 - 「ガリラヤで伝道を始める・四人の漁師を弟子にする・おびただしい病人をいやす」

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St. Peter's Church, Capernaum
「網を捨てて従った」は金のために生きることを捨ててという意味だと私は思っている。大事なことを見つけたら、そこを中心に据えて人生を歩むのが良い

悔い改め

「悔い改め」という単語のギリシャ語のμετανοεῖτε (metanoeite)をコンコルダンスで引くと、意外と出現回数は低い(34件)。悔い改めは、信仰生活の基本とされているのに、それが何を意味するのか実は明確に語られてはいないのである。だからどうだということではないが、気になったのでメモしておく。