- 新生活220週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」
ヨハネが引用した「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」ではなく、イエスは一人ひとりの小さな愛の積み重ねで救いを感じる社会をつくろうと呼びかけていたのだと私は感じている。 - 先週、線路だけだったところをトラムが走っていた
私の通勤経路のあたりで新路線が動き始めていた - タリン版「(かもめ食堂の)森に行ってきます」
タリンは中心部から20分ちょっとで森にアクセスできる。 - Valga訪問
事前に考えていたよりきれいで気持ちの良い街で、行ってよかったと心から思った。季節もあってか観光客(ツアー)は一回も見なかった。あまり期待していなかった博物館もとても充実していた。エストニアやラトビアの歴史ではなく、支配者が変わったり国境ができたり無くなったりして同じ町で行き来に不自由があった歴史は、他の地で学ぶことは難しい稀な歴史と言える。 - 新生活219週目 - 「人の子が来る〜目を覚ましていなさい」
楽観的かも知れないが、「残された時間を大事にしなければいけないと思う」ということは、福音のヒント(4)で述べられている「目を覚ましていることとは祈ることだ」とある意味で同じなのではないかと思う。 - モジュールの動作理解にはVewsが有効(WorkspacesとContent Moderationの共存を理解する)Drupal8はDrupal7からの互換性が希薄で、多くの離反者が出た一方、CoreでNode revisionが扱えるようになって高度なコンテンツ管理が可能になった。WorkspacesモジュールもContent Moderationモジュールもこのリビジョニングを使った機能拡張となっている。本稿ではViewsの機能を用いて、どのような形で、両モジュールが機能を実現しているかを探っていく。
- クリスマスマーケットでランチ
タリン旧市街のラエコヤ広場でクリスマスマーケットが盛り上がっている。 - New access policy APIについて熱く語りたい本稿ではDrupal 10.3からCoreに組み込まれたNew access policy APIについて熱く語ります
- Tampereのムーミン美術館に行ってきた
雪が降れば、電車は遅れることがある。雪国に行くときは十分余裕を取るべきであることは知っていたが、ついギリギリの計画を立ててしまって失敗した。失敗したことで余計なお金がかかったが、訪問したムーミン美術館は期待をはるかに超える場所だった。 - 新生活218週目(王であるキリスト) - 「ピラトから尋問される」
「待降節第1主日」の前の「王であるキリスト」の祭日で暦年が切り替わる。改めて、福音朗読を含めて暦のこと、「王であるキリスト」の含意を考えてみた。