聖書の読み方
2020年6月7日の砧教会事件からもう1年半以上が経過する。その間に変わったことも変わらなかったこともある。大きく変わったのは、毎週福音のヒントを読んで、聖書を読んで、考えを書き出すようになったことだ。それによって、自分がどう考えているのか気がついて驚いたこともある。ガラテヤの信徒への手紙は福音書成立より前の文書で、その時、何が起きていたのかを考えさせるヒントに満ちている。磔から15年程度、その間に何があったのか、それが私にとってどんな意味があるのかを考えさせられた。
今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「待降節第3主日 (2021/12/12 ルカ3章10-18節)」。
先週から3節飛ばしたところからである。なぜ3節飛ばすのだろう。福音のヒント(1)では、この部分
7 そこでヨハネは、
洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「 蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』 などという考えを起こすな。言っておくが、 神はこんな石ころからでも、 アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、 切り倒されて火に投げ込まれる。」
今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「待降節第1主日(2021/11/28 ルカ21章25-28, 34-36節)」。