キリスト教
新生活153週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」
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改めて天の国の鍵とは何かを考えると、それは今生きているこの時代とこの場所で自由と人権の確立する行動への勇気ではないかと思うのである。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め続ける勇気と言い換えても良い。権力への反抗は本質的に避けられないものだと思う。
新生活152週目 - 「カナンの女の信仰」
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異邦人が救われる話に意外性はないが、改めて読み直せば自分を含めて誰もが日々排除の罪を犯し続けていることに気がつく。ミケランジェロの絵の弟子の困惑した表情は秀逸だと思う。
砧教会の聖書箇所はラザロの復活だった
砧教会の戦時は続いている。金井美彦氏はその事実に1mmも触れなかったが、佐分利正彦氏に私への配餐を指示した。彼の今の祝祷は私には呪いだ。悔い改めて真実に向かい合っていただきたい。
新生活148週目 - 「「毒麦」のたとえ〜「からし種」と「パン種」のたとえ」
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信仰告白を行うのは川を渡ってしまうことと同じで、対岸から見える景色を見ることができなくなる。使徒信条で「かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と終末の裁きを信じていると表明しているが、その存在を証明することも裁判の結果を予想することもできない。悪魔が毒麦の種を蒔くという解釈はわかりやすいが、違和感がある。
腐敗した組織を回復させるのは難しい
腐敗した組織は綺麗事を言うようになる。砧教会は最近、「真理はあなたたちを自由にする」という招詞を唱えさせるようになった。それを強制的に唱えさせるということは、自らに真理がないのを告白するのと同じである。あるいは、自分を社会の外において傍観している表明とも取れる。真理を追求しない組織に明日はない。行動の伴わない綺麗事は破滅の源泉だ。