上巻の時に書き忘れたが、WEIRDはWestern, Educated, Industrialized, Rich, and Democraticの略。西洋というよりはキリスト教社会と捉えたほうが良く、それが教育の促進、工業化の促進、経済的伸長と民主化を進めたという主張である。
上巻同様刺激的な内容で、ジャレド・ダイアモンドの生物地理学的アプローチがAD1000年以降の事象が説明できないところを心理学、社会学的アプローチで説明していると主張している。全てを一つの法則で説明するのは現実的ではなく、ある段階を超えると別の法則がより良い説明を導き、予想の精度を上げていくようになることはしばしばある。
上下巻を通じてMFP(婚姻・家族プログラム)の影響の大きさに触れられている。
単純に捨象すれば、一夫一婦制の強制と家制度の解体で、男性の競争環境を整えたことで、全体生産性が上がったというロジックであり、宗教改革で女性を劣後させる価値観を破壊してWEIRD社会の競争環境がさらに整えられ、さらに生産性が向上してキリスト教社会が他を圧倒したという考察になる。それが機能すると、少子化が進むが、少子化が進めば経済成長にマイナスとなるが、競争による成長が機能していれば、競争優位の落ち込みは抑えられる。
競争優位の獲得でしばしば話題になるイノベーションについての考察も興味深い。13章で集団脳を配線するという刺激的な節があり、そこでは以下のように書かれている。
多くの人々は、イノベーションが起きるかどうか――新たな価値が広まって社会に大きな変化がもたらされるかどうか――は、インベンション(発明)がなされるかどうか――ある人物やチームが今までにない新たなものを作り出せるかどうか――でほとんど決まると思い込んでいる。また、 多くの人々は、発明が生まれるには、非凡な才能をもつ人、つまり天才に、多くの自由時間と強い物質的誘因(大きな見返り)が与えられる必要があると思い込んでいる。もちろん、こうした要素も関与している可能性がある。しかし、文化進化の研究から、それよりもはるかに重要な要因が二つ存在することが示唆されている。
その2つを頭脳集団の規模と個人間の相互連絡性の高さとして論証している。イノベーションは母集団の厚みと、才能を具現化させるシステムにあるという整理で、天才だけに注目しても長期で見れば、有利にならないということだ。
言い換えれば、英雄待望論は切って捨てよという主張となる。
これはイエスの教えに通じる考えでもある。イエスの時代のユダヤはローマの実質的な支配下にあり、独立を実現してくれる超人的なメシアへの待望論が高まっていた。洗礼者ヨハネは、その待望論を肯定しつつ環境を整えよと問いて一定の支持を得ていた。しかし、イエスは英雄らしく振る舞うことはなく、むしろ平等を説いた。誰かに依存するのではなく、自分たちの小さな力を軽視せずに前向きに手を取り合って生きよ、権力者への隷従を避けよと説いた。彼は世の権力者によって殺されたが、クリスチャンの価値観を激変させ、それは伝染して行きつ戻りつを繰り返しながらもWEIRDに至ったと考えて良いだろう。
教会という権力装置がMFPを使って文化を作り上げていったのは不思議なことだとしか思えないが、2000年間、実績を出してきたと言って良いだろう。
平和や栄華を経験すると、それを生来の当然の権利と勘違いしてしまう。小さな力でも社会全体を進歩させようという思いが弱くなれば、誰かに頼って自分たちを守ろうと考えてしまう。前世紀の大戦は大きな戻りつの波で、戦後行きつの波が冷戦終了でピークを迎えた。WEIRDな人たちは、果たして再び起きている戻りつの波を乗り越えてさらなる高みに達することができるのだろうかと考えさせられた。少子化という流れがしきい値を超えてしまうと説明可能な法則そのものにも影響を与えるだろう。
明治以降の日本は、WEIRD化の時代が進み、戦後に再びWEIRD化が進んで大きな経済的果実を得た。成長が止まって英雄待望論が高まっているのが現状だろう。英雄や天才への依存は、大きな武力への依存と同じ構造を持ち、それは恐らく頭脳集団の厚みを損ない、人間間ネットワークを階層型(家長制)に変えて相互連絡性(台頭で多様なコミュニケーション)を損ない、全体の成長を損なうことになるだろう。市井の人々は、静かに小さな力を社会の進歩のために用いつつ、多様な関係を促進することで再び風が変わるのを待つか、風を吹かせたほうが良いだろう。
本書は、指南書ではない。世の中の仕組みを説明した本であり、自分で考える力を高めてくれる。お薦めする。