新約聖書 訳と註 第二巻上 ルカ福音書読了。田川建三訳著 新約聖書 訳と注 1 マルコ福音書/マタイ福音書から3ヶ月強が経過した。2冊目なので第一巻の時の驚きはないが、翻訳そのものも興味深いし、前巻同様註が充実していて解釈がおもしろい。この巻もベテラン信徒が読んで損はない。
最後の「解説、凡例等、後書き」で田川氏はルカは、パウロと近しい人物だが、パウロの弟子ではないと書いている。その考え方には説得力がある。また、ガリラヤの人でもエルサレムの人でもなく、地理には明るくないこともわかる。よく言われているルカは医者説は否定されている。使徒行伝を含む文章が70年代作成されたと推定していて、マルコ伝が下敷きになっていることも良く分かる。ルカ伝は「はじめから、すべてを」書くことが目標になっている(新共同訳の1:3では、「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いて」とある)ので、マルコ伝が公生涯にのみ言及しているのが気に入らなかったという説を提示している。マタイ伝も近いが、ルカ伝はユダヤ教の預言の成就というコンテキストに縛られてはいない。
ルカの功績の段では、ルカが書かなければ失われていた並行箇所のない「小作人の借金を棒引きにした執事の話」、「金持ちの畑の豊作」、「乞食ラザロと金持ちの話」、「良きサマリア人の譬え」を上げている。どれも示唆に富む話で、特にサマリア人の話は私にとってはとても印象深い。誰がやったかよりそれが良いことかどうかのほうが重要だという気づきから、差別の非合理性の気づきにいたり、排他でなく包摂、専制と隷従から愛に基づく社会への進化を期待させるものだ。
ルカは、「はじめから、すべてを」書いたが、正確に書くことには失敗して多くの捏造を行ったと思う。それでも、マルコ伝だけを読んでも気が付けないことがあることは間違いなく、共観福音書が三巻、福音書全体で四巻あることは無駄ではない。一人の人が神の視点を持つことはかなわないのだから、「はじめから、すべてを」正確に書くことはできないのである。だから、無駄ということではない。下巻の使徒行伝にも期待したい。