つげ義春が語る 旅と隠遁

つげ義春が語る 旅と隠遁読了。つげ義春は有名だが、特に読みたいと思ったことはなかった。

漫画も読もうと思っていたが、先に書き物を読もうと思って借りたのが本書である。昭和12年生まれだから父の4歳下で、私からすると親世代ということになる。読んでいると、自由人だなあと思う。金持ちになろうと思えばチャンスはあっただろう。食えないのは困るが、生きていければそれで良いと思っていたのが伝わってくる。厭世的に見えなくもないが、その気になれば、計画的にものを進めることはできるし、周囲を良く見ているように感じられる。高度成長期に壮年を迎えた人なのに、その風に乗る気はなかったようだ。私の親世代へのイメージは、自分の父とか山本直純の「大きいことはいいことだ」的なイメージが強いが、並行してアングラを形成した世代でもある。

「ワラ屋根のある風景」で二岐温泉の話が出てくる。つげと関係があるとは知らなかったが、会社の偉い人に声をかけていただいて混浴の温泉宿に泊まったことが思い出された。多分訪問したのは1度ではなく、取引先の人も一緒だったこともあったし、若い女性社員も一緒に入浴していて驚いたことを思い出す。年長の方々はつげのことも知っていて、二岐温泉に誘われた時に、この機会に一度行ってみようと思ったのかも知れない。長野オリンピックの頃だっただろうか。

「直径三キロがリアリズムの素」は1983年調布時代のインタビュー記事で、私が就社する1年前。漫画家に関するコメントが興味をそそる文章だ。特にゲゲゲの鬼太郎と墓場の鬼太郎に触れているところが印象に残った。私が小学生だった頃に、少年サンデー、少年マガジン、少年チャンピオン、少年ジャンプといった漫画雑誌は娯楽の中心だった。83年は、ビッグコミックスピリッツを読んでいた頃で、79年からめぞん一刻の舞台である東久留米近傍に住んでいたので、偶然時計坂の丘に迷い込んだこともある。所謂娯楽系を消費していた世代だ。毎週、東久留米から砧に車で通っていたから深大寺は馴染みの田舎だったので興味深く読んだ。

最後の方はかなり精神世界的な印象が色濃く、密教の話も出ればひも理論の話も出てくる。正直で誠実な人柄が垣間見える感じがする。人生はままならないが、それで良いのだと感じさせられた。それに影響を受けて「イスラーム哲学の原像  岩波新書 黄版」を読むことにした。漫画も「つげ義春コレクション」から「ねじ式/夜が摑む」を予約した。こちらはしばらく待たなければいけない。

タグ
feedback
こちらに記入いただいた内容は執筆者のみに送られます。内容によっては、執筆者からメールにて連絡させていただきます。