今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第27主日 (2026/10/4 マタイ21章33-43節) 」。3年前の記事がある。マルコ伝12章、ルカ伝20章に並行箇所がある。WikipediaにはParable of the Wicked Husbandmenという記事がある。3年前に引用した時のリビジョンからかなり進んでいるが、書かれている内容が大きく変わっているわけではない。
福音朗読 マタイ21・33-43
〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」42イエスは言われた。
「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』
43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
42節の隅の親石は単語としては、角を意味するγωνίαςという単語で、福音書では4回しか出てこない。その内3回はここと同じく詩編118:22の引用で、マタイ伝6:5「祈るときには」で会堂や大通りの角の角で用いられている。捨てた石の方の石の単語はΛίθονは新約聖書で59回出てくる言葉。石を角に据えたから隅の親石という訳となるのだろう。引用元の詩編ではלְרֹ֣אשׁで599回、創世記2:10で4つの川の川で使われている。源流といったイメージだろうか。捨てた石はאֶ֭בֶןで創世記2:12でラピスラズリを意味する言葉。日本初ラピスラズリ発見とその展示についてを見ると、ぱっと見には、ただの岩だが実は宝石と言ったイメージなのかも知れない。よく吟味せずに捨てられた石が実は貴重な宝石で、それを中心あるいは頂点に置いたという話なのかも知れない。
英文Wikipediaでは、石を表すאָ֫בֶן (eben)という言葉と創世記4:25の息子を表すבֵּ֔ן (bên)という言葉の類似性から、神の子を想起させる考え方が書かれている。
宗教的な教えでなくても、権力者の目が節穴で、本物を見落とす教訓は少なくない。権力者に向かって、自分こそが本物であると宣言すれば、叩かれるのは当たり前だ。福音のヒント(3)で「マタイは(44節も含めて)、このたとえ話の中に「救いの歴史」全体を見ている」としているが、見方を変えればその宣言が自らにとどめを刺すようなものだったと言えるわけで、それでもイエスが復活したということで正義は勝つという解釈を与えたと考えて良いだろう。ただ、「勝つ」ということにイエスがこだわっていたとは思えない。ちなみに44節はマルコ伝に同様な記載がない。「勝つ」人がいれば負ける人がでる。勝利は、福音のヒント(5)にある「主人からゆだねられ、管理をまかされたものを、自分の所有物だと勘違い」する端緒だ。
マタイ伝もルカ伝もどちらかと言うと正義は我にありといったトーンが感じられる。多分、ペトロも同様の解釈をしていたと思うが、教皇の座を離れた後は、ひょっとしたらそうじゃないと考えていたのではないかと想像してしまう。
今日の個所のようなある種痛快な権力者批判は気分を高揚させるが、一歩踏みとどまって「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」とはイエスは言わなかったのではないかと、考えてみるのも有用なのではないだろうか。
※画像は、Marten van Valckenborch - Parable of the wicked husbandmen (October) ルーベン生まれの画家の作品。16世紀のヨーロッパの画家のイメージなのだろう。恐らく、イエスの時代のイスラエルの人がイメージする姿とは違う。現代の日本で見える景色よりかなりドロドロして危うい印象がある。イエスの教えは、行きつ戻りつはありながら、2000年分進化していると思う。今は逆風でも大きな流れは変わらないだろう。