分断と反知性主義のアメリカ読了。アメリカの学者の本の日本語訳かと思って読み進めていたが、元大蔵官僚の書籍だった。元々は日経新聞の書評欄で興味を持って申し込んだのだが、予約待ちで時間が経過することで、手に取った時にはその書評の内容を忘れていた。まあ、そんなもんだ。この書籍については、財務省のページで書評が掲載されている。その最後に「多くの方が手に取ってくれることを期待したい」と書かれている。同感である。日経の書評では、「熟議を制度に落とし込み、制度内で対立も融和も完結させる。それで分断を防ぐという。政策実務者らしい設計思考に期待する。」と書かれていた。
はじめにの部分に簡潔に問と答えが書かれている
本書の問いは単純である。
なぜ、知は民主主義のなかで敗れるのか。 そして、それでもなお、知は何をなしうるのか。
本書の答えは次の通りである。
分断と反知性主義は、愚かさではない。
それは「分かりやすさ均衡」という政治的均衡である。 だから対処方法は啓蒙ではない。必要なのは制度である。本書はその制度を「知の公共化回路」と呼ぶ。
その回路は、診断→翻訳→比較→選択→検証→学習という、六つの過程からなる。
知の役割は、この回路を通じて、対立する利害と価値のあいだにある制約条件とトレードオフを可視化し、民主主義のなかで選択可能な形に構造化することである。
読み終わって、もう一度最初のこの部分に目を通すと「必要なのは制度である」はそのとおりだと思う。ただし、「知の公共化回路」については、まだ得心できていない。最後の結論の部分では、その解説がある。
診断は問題の構造とトレードオフを明らかにする。翻訳では、専門知を公共の言葉に置き換える。比較では、代替案の費用と利益を同一平面で示す。選択は政治(市民)が担う。検証は政策の結果を追跡し、学習はその結果を次の制度設計に戻す。
その主張は、合理的だと思うのだが、エリート臭を強く感じてしまう。特に「選択は政治(市民)が担う」を制度化する困難さを感じるのである。「分かりやすさ均衡」の私の解釈は「思考の時間軸が必要な長さに対して足りないことが招く政治的決断」だ。朝三暮四である。飢えて死んだり、理不尽に殺されたりしないと思えなければ、時間軸の呪縛を超えられない気がするのだ。
とはいえ、今の現実が今の「分かりやすさ均衡」だから、その現実を見据えて歩みを進める以外の道はない。日経書評同様、著者の今後の活動に期待したい。