移民は悪か? 読了。ディアスポラの末裔の方の本と言って良いだろう。
ユダヤ人という言葉が何を指すのかは難しいが、モーセ五書にならうと、かつてチグリス・ユーフラテス地域からの移民集団でパレスチナに移住、飢餓でエジプトに逃れ、モーセによって現代のパレスチナあるいは現代のイスラエルに戻った人びとの末裔ということになる。勝手な想像だが、アブラハムはメソポタミアの豪族の次男坊のように思われ、ヤコブの嫁取りの話など血筋にこだわりの強い記述がある。誇り高く排他的な集団であったことが想像される。好戦的で騒動を起こしやすい集団だったように読める。ユダヤ人以外を人間として認めない姿勢は今のイスラエル政府で力を持つ人と通底するものがある。
日本では、所謂ユダヤ人との接点は小さいので意識しないが、アメリカでもヨーロッパでも正直に言えば嫌われものである。唯我独尊感が強いのだろう。一方で、繰り返しディアスポラの経験がありながら生き残ってきたという意味ではシオニストの自尊心は極めて高い。ビジネスシーンでは何人かに接点があるが、約束は守るし真面目な印象があるが、気を抜けば合法的な方法でむしられそうな恐ろしさを感じた。もちろん、個人差はある。現代のイスラエルには激しい格差があり、激しい競争社会だ。私がビジネスシーンで会った人々は、競争に勝ち残った人であり、恐らく数パーセントの勝ち組には入れなかった人がほとんどではないかと思う。
本書では、移民の定義を「理由や法的地位にかかわらず、通常の移住国を変更する者」としている。そういう意味では、私もかつて米国移民であったし、最近はエストニア移民あるいはEU移民ということもできる。著者は思い切って捨象すれば、移民が人類を進化させ、豊かさを実現できたと考えている。そういう意味では、価値観のバイアスもかかっているように思われるが、否定的に見てもその解釈は成り立つと思っている。日本だって、クラーク博士を迎え入れたことで変わったとも言えるだろう。現代的なデジタルノマドへの言及も短いながらあり、少し長居した経験からすると、明らかに移民は周囲の人に影響を及ぼしているのは間違いないと感じている。同時にデジタルノマドは、移住した地域の人びとの影響を色濃く受け、その経験をもともと住んでいた地域の人びとに伝えている。良いことも悪いこともあるだろうが、それは現実だろう。日本では、在日韓国・朝鮮人問題やアイヌ、琉球の経験を正視するべきだろう。
日本人はディアスポラ感性はほぼ皆無だと思うが、島国であることもあって移民を阻止してきたという自負がある。事実としては今の中韓の地からの移民の力で発展したことは否定できない。そして、敗戦で価値観を大きく変えることに成功した。アメリカのキリスト教思想の理想が投影された側面は否定しないが、史実として平和憲法は自主的に作成されたものである。
移民は、食えなくて困って移るか、好奇心で移るかがメインだろう。もちろん、どちらかということではなく、両方の側面があり、アブラハムも両側面をもっていた。ただ、社会規範を形成する時には極端にした方がわかりやすいので概ねナショナリズムが勝つ。
序説が長くなってしまったが、本書では移民の原点をホモ・サピエンスがアフリカから出てきた所謂人類進化V2説に基づいて書かれている。
人類進化V2説は恐らくやがて否定されるだろう。交雑の事実があることから、ホモ・サピエンス以前にベースとなる遺伝子を持つ人が既に分散していたことは恐らく間違いないだろう。巨視的に見れば遺伝子のどれかに優位性を見出すことは合理的ではない。とはいえ、第一部「すぐにわかる移民の歴史」には一定の説得力がある。人が、農作物の種を持って移動することで、食生活が変わる。メソポタミアのあたりから小麦がヨーロッパの方に運ばれていったのは、人の移動と不可分だし、耕法などの技術をもって動いた人がいただろう。そういう移住によって生活が向上していったのは事実だろう。軍より疾病という話も現実にあっているだろう。人の移動は疾病の伝搬でもある。豊かな生活ももたらすが、死や災厄をもたらすこともある。余剰生産ができるようになり、貿易で融通し合うようになると、奴隷のニーズが高まる。具合の良い労働者が儲けにつながるからだ。第5章の奴隷制度、第6章の強制と支配、第7章の集団移住の時代と読み進んでいると移民という軸で歴史を再学習でできる。第8章のパスポートを巡る問題の冒頭で、1914年までは、地球は万人のものだったというThe World of Yesterdayからの引用があり、第一次世界大戦が国境を超えにくくしたことに触れ、第一部の残り部分はここ100年の話であり、著者の視点に立って考える上で参考になる。
第二部の「移住の今、そして未来」は、著者が考えていることを簡潔にまとめた80ページ程度の主張である。政策のレベルには昇華されていないが、示唆は多く、有意義であると感じられた。ユダヤ人はイスラエル建国まで国を持たない民だった。ユダヤ人というアイデンティティも一様なものではないが、同じアイデンティティを持つ人達で自決権をもつ国を築きたいという気持ちは十分理解できる。被差別経験はその思いを強くする。また、既に国をもっている民で、自決権が危機に瀕していると人はいる。移民排斥に向かえば、長期的に見れば不利になるだろうが、所謂民意はかなり排斥的だ。第12章の移民と経済で取り上げられている「移民が占める割合について、国民が抱くイメージと現実」のグラフは象徴的だ。
アメリカでは3人に1人以上が移民だと認識されているが、実際には15%弱で、ドイツやスウェーデンより低い。非ヒスパニック系白人は6割弱で、自決権が脅かされつつあるという危機感を抱いている人が多いのがイメージと実態の乖離を招いているのかも知れない。乖離の大きさではこの中ではイタリアが一番(ほぼ米国と同じ)。ちなみに、日本の在留外国人は3%強で状況は大きく違うが、排斥的な動きが目につく。
イスラエルという国はユダヤ人が望んだ部分と、ユダヤ人に出ていってもらうためには器を用意したほうが良いという2つの考えがある。個人的には、国際社会がイスラエルという国を認めたのは失敗だったと思っている(厄介払いを考えた人にも責任がある)。だからといって無かったことにすることもできない。
移住を許容できる社会設計が必要だと私は考える。生きていくことが難しい地からどうしようもなく難民になってしまう人もいる。そういう人は自分を侵略者に位置づけてはいない。生きていくために移動するのだ。ただ、群れた挙句過度に自決権を求めるようになれば侵略者と化してしまう。言い換えれば、弾圧を感じれば反逆的になるということだ。上手に既住者と移住者が共存できる道を志向するのが望ましい姿だと思う。人口減少期にある国はなおさらだ。
高校生、あるいは大学一般教養課程で読んでおいたほうが良い本として良いと思う。