日経の書評欄に出ていたことから読むことにした本だが、とてもスリリングで読み物として面白いが、その使われ方に背筋が凍る思いがした。被害者側にも加害者側にも大統領が複数出てくる。EUハンガリーでオルバンも出てくるが、欧州ですらそういう人間を首相に選んでしまうのだ。日本も安倍を選び、知事レベルでは人権をなんとも思わないような候補が当選するのだから、他国のことを言えるような状態ではないが、これだけの記事が出、事実が明らかになってもそのままその地位を維持しているから恐ろしい。エピローグでは、「世界の十数カ国の政府が…あちこちで口先だけの発言が聞かれることはあっても、規制づくりはほとんど進んでいない」とある。NSOは消え去ったが、資金力のある弾圧者を止める方法は見つけられていない。
言い換えると、能力のあるサイバーセキュリティスペシャリストがダークサイドに身を置けば、巨万の富を蓄積可能ということで、金の力に負けてしまう技術者の出現は止まらないだろう。
第9章で、アムネスティのサイバーセキュリティスペシャリストが「自分の時間と能力を社会の利益に捧げることは、明らかに政治的選択であり、その選択を意識と誇りを持って受け入れるべきだ」と発言したと書かれている。恐らく大多数の公務員や一般人はその基本姿勢に従っているだろうが、極少数の例外が出るだけで、社会は壊れてしまうのだ。誰だって社会の利益に反する意識を持っていて、あなたは別に邪悪でも何でもないと煽られると、社会の利益に反する行為が社会正義に思われてしまうことさえある。アメリカに限らず世界中で起きていることだ。
ジャーナリズムを軽視してはいけない。丁寧にファクトチェックを行い、高い倫理感を有するスペシャリストを尊重するジャーナリストが十分な活動ができるようにしなければ、社会は壊れてしまう。自分が薄っぺらな正義感に支配されていないか、よくよく見直し続けて生きていくのが望ましいと改めて思った。基本は事実に置かなければいけない。そして、愛がなければ、社会の利益を増進させることはできない。自分の問題でもあるが、社会全体の問題でもある。丁寧に自分でできる範囲のことを慎重にやりつづけることだ。